​半身にマヒがあり歩くこともままならず、「できない事」が増え、意欲も薄れ、自宅にこもりがちになった方がいます。

離れて住む子供たちにも迷惑はかけたくありません。リハビリにも意欲が湧きません。

無理矢理リハビリを義務付ける、もしくは、どんどん悪化していく身体機能に対しとにかく施設に入る事だけが「解決」になるでしょうか。

その方は音楽が好きでした。ただ聞いているだけで嫌なことが忘れられるのだそうです。

音楽を聞くため、機器のスイッチを自分で入れることから始めます。

自分で歌ってみたいから近くのコーラスグループに参加するためコンサートにも行ってみたいから、歩行訓練を始める。

障がいから塞ぎがちではありましたが、元々は活発な方だったのです。

杖を持てば少し歩けようになったから近くの買い物だけは自分でやってみる。

すこしだけ家事もやってみる。できることはやってみる。

「できる事」が増えたから、自信が湧いてきて、「できない事」にも目を向けられるようになり離れた家族に理解を求め、援助してもらう。

介護ヘルパーさんにも週2日程度、来てもらうことになりました。

「音楽が好き」、「こういう性格」という個人的な要素(個人因子)

ヘルパーさんや家族の援助という環境(環境因子)

少しでも歩く、家事という行動(活動)

コーラスグループ、コンサート、買い物という社会参加(参加)

これらが相互に関与しあうことで、日々の生活や心身の健康がある。

という考え方です。

​ICFとは

国連のWHO(世界保健機関)において採択された「障がい」を始め、生活機能」に関する考え方です。

現在の心身の機能と身体の構造からどのような活動が生まれ、行動ができ、どのように社会参加することができるのか。

「障がい」を「できない面」から捉えるのではなく、「できる事」を見つめることがその方の健康や気持ちの向上に密接に関与していることを示しています。

​上で述べました「環境因子」として

「法律」は大きく意味を持つものであると私は考えます。

現在、法律の現場にある「福祉」の分野では「後見」が多く挙げられます。

この「後見」制度においては、多くの方のご尽力により、今後さらに多様な場面において、必要とされていく事は言うまでもありません。

ですが、福祉の観点から考えると、この「後見」制度のみでは​対応しきれない部分が多くあるのではないかと思っています。

それは「後見」制度は認知症や精神疾患等によって、自身で判断が困難になってしまった方に代わって、ご家族や司法書士等が務める「後見人」が法律上の手続きを進めるものだからです。

​ご自身の権利や財産をどうしたいのか。は、一般論で決められるものではありません。

人それぞれの考えや気持ちがそれを左右する事も少なくありません。

そうだとすれば、ご自身で判断できる時にこうしたい」「こうなればいい」という希望を実現する手段を取っておく事最善であると考えています。

不安を取り除くこと、ご自身やご家族の幸せを形にすること。

それが環境因子としての法律のあり方であると私は思うのです。

事務所のこと        ごあいさつ        福祉への取り組み